イギリス

エドワード3世 百年戦争の宣戦布告を行ったイングランド王

エドワード3世はイングランド・プランタジネット朝の王であり、フランスとイングランドで起きた百年戦争のきっかけになった人物です。

幼少期

1312年11月13日にウィンザー城で誕生。

イギリス史上最悪の王と呼ばれた父であるエドワード2世は、王妃イザベラにクーデターを起こされ、廃位。1327年に若干14~15歳のエドワード3世が即位。若すぎたせいで実権は母と愛人が握ることに。ただこの二人の政治は愚王と呼ばれた父エドワード2世と大差ないという有様でした。

そんな悪政に終止符を打ったのが、成年になったエドワード3世本人です。
母と愛人モーティマーに不満を持っていたエドワード3世は、1330年の10月にモーティマーを逮捕し、彼を絞首刑に処します。そして母であるイザベラを幽閉し、政治の世界から引退させたのでした。

母の愛人である初代マーチ伯ロジャー・モーティマーの逮捕
母の愛人である初代マーチ伯ロジャー・モーティマーの逮捕

さて。彼を語る上で外せないワードが百年戦争です。

戦争というからには相手がいたわけで、その相手こそ、ちょうど同じ頃即位したフランス国王フィリップ6世でした。

百年戦争までの経緯

フランス国王 フィリップ6世
エドワード3世と対立した
フランス国王フィリップ6世

エドワード3世という人物は、なかなか自尊心が高かったようで、このフィリップ6世に「臣下の礼」を捧げるのを最初は拒み、後にしぶしぶ了承したという経緯があります。

この辺りを説明すると少し複雑ですが、「臣下の礼」とは当時家臣が主君に対して忠誠を誓う儀式です。

「ん?」と思う方もいらっしゃると思います。

「エドワード3世はイングランド王でしょ?なんでフランス王に忠誠を誓うの?」と。

エドワード3世の話なので、割愛しながら話しますが、イングランド王家の始祖は元はフランス人貴族でした。イングランド王室の開祖であるウィリアム1世が世に名高い「ノルマン・コンクエスト」を達成し、フランス貴族(フランス王の家臣)でありながら、一国の王となったのです。

この関係はエドワード3世にも当てはまり、彼もイングランド王でありながらフランス国王の家臣という立場だったのです。そのため、フランス国王にフィリップ6世が即位した際、臣下の礼をとる必要があったのです。

お互い一国の王でありながら、臣従関係であるという複雑な関係。この矛盾したような関係に、フィリップ6世の即位が引き金になっていました。

フランスはユーグ・カペー以来300年以上カペー朝という王朝が続いていました。脈々と男系継承を行ってきたカペー朝でしたが、王朝最後の王シャルル4世に跡継ぎの男子がいなかったことで1328年に断絶。そのため、シャルル4世の叔父(伯父)のヴァロア伯シャルルの息子フィリップ6世が即位したのです。

カペー朝最後の王シャルル4世の従兄弟。つまりフィリップ6世は、カペー家直系の男子ではなかったのです。

そして…この時世界で唯一のカペー家直系の男子は、なんとエドワード3世だったのです。

話がややっこしくなってきたので、家系図を見てみましょう。

エドワード3世 家系図(百年戦争)

そう、エドワード3世の母イザベルは、フランス国王フィリップ4世の娘。つまり女系ではありますがエドワード3世はカペー家直系の男子なのです。(イザベルの兄弟はルイ10世が唯一子を残したものの女子でした。そして兄弟は皆亡くなっています。)

フィリップ6世の即位時に、反論した人物。それはエドワード3世でした。自分こそカペー家直系の男子であり、分家のフィリップなんぞ認めん。という主張です。

しかし、この時二人は20歳以上年の差がり、エドワードは若干15歳。フィリップは35歳。おまけにフィリップはフランス大諸侯であり、実績も経験も多く積んでいました。しかもエドワードは生まれも育ちもイングランド。血筋こそエドワード3世は正当なものだったかもしれませんが、誰の目から見てもフランス王に相応しいのはフィリップの方でした。

15歳にして辛酸を舐めたエドワード3世。認めたくない相手に臣下の礼を行わなければならなかった屈辱。そしておまけにスコットランド侵略中のイングランドに、フィリップ6世は嫌がらせとも取れる横槍を入れてきます。その仕返しにエドワード3世もフィリップ6世が憎く思っていた反逆者ロベール・ダルトワを匿います。その更に仕返しで1337年5月にフィリップ6世が、イングランドがフランスに保有していた領土アキテーヌ・ポンテュ公領の没収を宣言。

他にも色々積み重なり、エドワード3世はついにブチ切れることになります。

百年戦争の開戦

同年10月7日、エドワード3世はウェストミンスターで、フィリップ6世に行った臣下の礼の撤廃を宣言。フランスの正当な王は自分だと声を上げ、11月1日付でにフィリップ6世に挑戦状を送りつけ、宣戦布告を行ったのです。

さて宣戦布告を行ったものの、イングランド王家とフランス王家では圧倒的にフランス王家の方が力がありました。

一見すると勝利は不可能にも思えるイングランドでしたが、力は大きさでは測れないものです。「量より質」なんて言葉がありますが、中世ヨーロッパではまだ「国家」という概念はありませんでした。

フランス一国としてのまとまりはなく、その実態は各々の領主が領地争いをしている、烏合の衆ともいえるものだったのです。対して非力なイングランドは、歴代の国王が王国を留守にしがち(みなフランス人だったので、イングランドに滞在する時間が少なかったのです)だったので、王が留守でも国が回るよう司法、行政、財政が整っていました。エドワード3世は有能な王でもありました。

蓋を開けてみればフランドル問題から始まり、イングランド軍は破竹の快進撃を続け、1346年には有名なクレシーの戦いで大勝利。ブルターニュ問題も味方につけ、失地王ジョンの時代に奪われた領土の多くを奪還して行ったのです。(フランドル問題とブルターニュ問題については、いつか百年戦争のまとめで書きたいと思います。)その活躍を支えたのが、彼の長男であるエドワード黒太子でした。

意外にも有利に進む戦争の序盤

エドワード黒太子
エドワード黒太子

息子であるエドワード黒太子が活躍する頃には、フィリップ6世も代替わりし、息子のジャン2世がフランス国王になっていました。ここからはエドワード3世の記事から脱線するので割愛しますが、息子たちの戦いに勝利したのもイングランド側。ジャン2世はなんとイングランドの捕虜になります。

ここから身代金なり領土なりを要求するエドワード3世。ここで今度はジャン2世の息子であるシャルル(後の賢王シャルル5世)の巧妙な政治手腕・交渉によりジャン2世を開放。(後に彼はまた捕虜になりイングランドで客死します。)

戦況の悪化と晩年

長男のエドワード黒太子が尽力していく中、ヨーロッパではペスト(黒死病)が大流行。しかもジャン2世の跡を継いだシャルル2世は、名将ゲクランと共にイングランドから領地を次々奪還していきます。

ペストの大流行で人々が死に、イングランドではワット=タイラーの乱、フランスではジャックリーの乱という農民反乱が勃発。戦争どころではなくなったエドワード3世とシャルル5世は、1375年7月1日に休戦協定を結びます。

エドワード3世と愛妾アリス・ペラーズ
エドワード3世と愛妾アリス・ペラーズ

さて、数年前の1369年にエドワードはフィリッパ王妃を亡くしており、心身ともに衰え始めます。

フィリッパ王妃との馴れ初めは、当時としては珍しく恋愛から始まった政略結婚でした。(普通は愛情のない政略婚です。)彼の母イザベラが、夫にクーデター起こすため援助を求めてフランスに赴いた時に出会ったようです。二人はすぐに惹かれ合ったそうです。

夫婦仲もよく、彼女もエドワード3世と共に戦場に向かったり、夫の留守中に摂政を行うなど、フィリッパ王妃も政治・軍事もこなしたようです。

そんな愛する王妃を亡くしたエドワード3世。やがて愛妾アリス・ペラーズという女性を溺愛します。しかも彼女にも政治への介入を許します。これが周りの反感を買い、優秀だった王が暗君とも言われる事態となります。

そして1377年6月、エドワード3世に死期が訪れます。

命燃え尽きそうな国王から、なんとアリスは洗いざらい金目のものを盗んで姿を消します。

召使いも退去していき、次期国王と期待していたエドワード黒太子も前年に病死。6月21日、教戒師ただ一人に看取られながら64歳でエドワード3世は亡くなりました。彼は王妃フィリッパと同じウェストミンスター寺院に葬られたそうです。

かくして百年戦争の休戦協定が開ける前に、宣戦布告したエドワード3世が世を去り、戦争は孫のリチャード2世へと継承されたのでした。

ガーター騎士団の創設と伝説

エドワード3世は1348年8月6日にガーター騎士団を創設します。これはテンプル騎士団のような宗教的組織ではなく、世俗の騎士団でした。(エドワード3世がアーサー王の円卓の騎士に憧れを持っていたため作られたとも。)


ガーター騎士団員の正装をするエドワード3世

ところで、このガーター勲章は左脚にガーターを付けるという特徴があります。これには伝説があり、舞踏会でソールズベリー伯爵夫人ジョアン(後に未亡人になりエドワード黒太子と結婚)がダンス中にガーター(靴下止め)を落としてしまい、夫人が恥ずかしさで立ちすくんでしまう事態が起きます。

当時の靴下止めといえば、下着のようなもの。多くの貴族が集まる舞踏会、夫人は笑い者にされてしまった。

それに気付いたエドワード3世はガーターを拾い自分の左脚に付け「悪意を抱く者に災いあれ(Honi soit qui mal y pense)」と言い、彼女を救ったという伝説です。

このガーター騎士団はヨーロッパの現存騎士団の中でも最古の歴史をもつものとされています。そしてガーター勲章はイングランドの最高勲章でもあり、明治以降の天皇陛下も称号を受けられています。

参考文献

ABOUT ME
kumano
歴女という言葉が出来る前からの歴史好き。特に好きな歴史は日本の幕末とフランス革命。 好きな漫画:ベルサイユのばら、イノサン、るろうに剣心など。