タイトルが物騒になってしまいましたが、ふとフランス革命の後半、ギロチンで処刑された人たちを時系列に並べてみたくなったので書いてみます。
よくよく考えると半年ぶりの記事がコレで良いのかとも思いますが…リハビリがてら書いてみます。ゆくゆくはここから人物をピックアップしていきたいですね。
執行日 | 人物名 | 職業・身分 | 執行理由 |
1792年8月10日 | ルイ16世 | フランス国王 | 国王裁判にかけられ、有罪となりギロチンにより処刑 |
1792年9月25日 | ジャック・カゾット | 作家 | 反革命的な態度により逮捕・処刑 |
1793年7月17日 | シャルロット・コルデー | 特になし | 革命家マラーを暗殺したとして処刑 |
1793年8月28日 | アダム・フィリップ・ド・キュスティーヌ | フランスの軍人 | 共和国の敵と共謀したとして有罪となり処刑 |
1793年10月16日 | マリー・アントワネット | 国王ルイ16世王妃 | 息子への近親相姦という虚偽の犯罪等で訴えられ、革命裁判で死刑判決を受ける。判決の翌日処刑された。 |
1793年10月31日 | ジャック・ピエール・ブリッソー | 政治家 | ジロンド派の指導者であったが、ジャコバン派に追求され処刑された |
1793年11月3日 | オランプ・ド・グージュ | 劇作家/女優 | 王党派と疑われ、反革命の容疑で逮捕・処刑 |
1793年11月6日 | ルイ・フィリップ2世 (オルレアン公) | 王族 | 共和制転覆の嫌疑を受けて告発され、革命裁判で財産を没収されたのち処刑された |
1793年11月8日 | ロラン夫人 | ジロンド派の指導者の一人 | ジャコバン派と対立し、逮捕・処刑された |
1793年11月12日 | ジャン=シルヴァン・バイイ | 政治家/天文学者 | シャン・ド・マルスの虐殺での人気低迷が大きな要因となり、反革命分子として処刑 |
1793年11月29日 | アントワーヌ・バルナーヴ | 政治家 | 王権主義者であり、宮廷とのつながりを発見され逮捕・処刑された |
1793年12月7日 | デュ・バリー夫人 | ルイ15世の公妾 | 亡命していたが帰国後革命派に捕らえられ処刑された |
1794年1月4日 | ニコラ・リュクネール | 元帥 | 抗議のために向かったパリにて逮捕。革命裁判所にて処刑を宣告された |
1794年1月27日 | アントワーヌ=フィリップ・ド・ラ・トレモイユ | 騎兵隊長 | ヴァンデの反乱後、大損害を出した責任を追求され逮捕・処刑 |
1794年3月24 | ジャック・ルネ・エベール | ジャーナリスト/政治活動家 | ロベスピエールらに反発し失敗 |
1794年4月5日 | カミーユ・デムーラン | ジャーナリスト/政治家 | 下記のダントンと共に逮捕され、処刑された |
1794年4月5日 | ジョルジュ・ダントン | 革命家 | 敵対したロベスピエールの右腕、サン・ジェストの告発により逮捕・処刑 |
1794年4月13日 | アーサー・ディロン | 貴族/軍人 | 反革命容疑で逮捕・処刑 |
1794年4月13日 | リュシル・デュプレシ | カミーユ・デムーランの妻 | 夫の処刑に伴い、反革命容疑をかけられ処刑された |
1794年4月22日 | クレティアン=ギヨーム・ド・ラモワニョン・ド・マルゼルブ | 政治家 | ルイ16世の弁護人を引き受けたが、ルイ16世の処刑が執行され、マルゼルブ自身も逮捕・処刑された |
1794年5月8日 | アントワーヌ・ラヴォアジエ | 科学者/貴族 | 徴税請負人の娘と結婚していたこと等を理由に逮捕・処刑 |
1794年5月10日 | エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス | 王族/ルイ16世の妹 | 虚偽の犯罪で訴えられ処刑 |
1797年5月27日 | フランソワ・ノエル・バブーフ | 革命家/思想家 | 陰謀を企てたが発覚。逮捕されて処刑 |
1794年6月15日 | ラ・トレモイユ | 神父 | 29日に処刑された外国人貴族ロザリア・ルボミルスカの愛人。明確な処刑理由は不明 |
1794年6月25日 | シャルル・バルバルー | 政治家 | シャルロット・コルデーの恋仲だったと言われている。マラー暗殺について逮捕され処刑(逮捕前に自殺を図り、瀕死の状態で処刑された) |
1794年6月29日 | ロザリア・ルボミルスカ | ポーランドの貴族 | 外国人であったが、パリ滞在中に粛清に巻き込まれ処刑(デュ・バリー夫人の反革命活動の共犯の容疑) |
1794年7月23日 | フリードリヒ3世・ツー・ザルム=キルブルク | ドイツ、ネーデルランド地方の小諸侯 | マリーアントワネットを指導者とする王党派グループに所属。クーデタが未遂に終わり逮捕・処刑 |
1794年7月25日 | アンドレ・シェニエ | 詩人 | ロベスピエールによって最後に処刑された人物の一人。(この3日後ロベスピエール自身も処刑されている)名目上は陰謀の偽装罪での処刑 |
1794年7月27日 | マリー・テレーズ・ド・ショワズール | 貴族 | テルミドールのクーデタ当日に処刑された女性。反革命の陰謀の嫌疑で逮捕されていた |
1794年7月28日 | マクシミリアン・ロベスピエール | 政治家/革命家 | 恐怖政治の中心人物。テルミドールのクーデターにより逮捕・処刑された |
1794年7月28日 | オーギュスタン・ロベスピエール | 政治家 | ロベスピエールの実弟。兄と共に逮捕されることを望み、逮捕・処刑された |
1794年7月28日 | ジョルジュ・オーギュスト・クートン | 政治家/弁護士 | テルミドールのクーデター後逮捕・処刑 |
1794年7月28日 | ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト | 政治家/革命家 | テルミドールのクーデターで逮捕・処刑 |
1794年12月16日 | ジャン=バティスト・カリエ | 革命政治家 | 反乱で数千人の捕虜をロワール川へ沈めた大量虐殺で告発され処刑 |
1794年 | ジャン・フレデリック・エデルマン | 作曲家 | ジャコバン派と嫌疑をかけられて |
1795年5月7日 | アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル | 検事 | ロベスピエールらを有罪にしたが、テルミドールのクーデター後、革命裁判所が一新され、被害者の遺族から告発され逮捕。他の元裁判長、元判事らと共に処刑された。 |