フランス革命といえば、世界で一番有名な革命と言っても過言ではありません。
ただ、10年近く続いた革命なので、内容は細かく話し始めたらキリがありません。ひとつひとつ取ってもドラマがある革命なのですが、今回はなるべく簡素に、そして歴史初心者の方でも分かりやすく解説していきます。
フランス革命の温床
ルイ16世が王の時代、フランスは当時、大変な財政難に陥っていました。
歴代国王、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿の増築や、ルイ15世の七年戦争での敗北や失政で、国家財政はなんとか持ちこたえたものの、ルイ16世の時代には火の車と言ったところでした。(といってもルイ16世が無能だったわけではありません。先代王たちの戦争に女性にと、国費を使いすぎたツケが回ってきただけです…。)
そんな財政難のせいで、民衆は重い税を課せられていました。稼いでも稼いでも搾取される生活。「その日のパンをいかに確保できるか」という状態でした。
重い税金を、聖職者や貴族も払っていたのなら、市民はここまで苦しまずに済んだでしょう。
そう、アンシャン・レジーム(旧体制)時代では、重税を強いられていたのは第三身分の平民だけだったのです。聖職者や貴族は税金を払うことなく、贅沢な暮らしを続けていたのです。
民衆の間で怒りがつのるのは当然の結果でした。
啓蒙思想が普及していくフランス
ルイ14世が築いた絶対王政。頂点は神であり、その下に聖職者と王が鎮座し、平民を支配する考え方が旧体制です。それに反して「人はみな平等」を謳う啓蒙思想が出てきたのです。
「平民だけ馬鹿みたいに重い税金を払うのは間違っている」
「聖職者や貴族も税を払うべきだ」
そんな声が上がる背景には、さらに人口増加も拍車をかけていました。一般庶民の生活は餓死者も出るほど限界を迎えていました。この人口増加は、革命の動力源ともなっていったのです。
三部会開催 〜フランス革命のきっかけ〜
革命を決定づけたのが、この三部会でしょう。三部会とは「第一身分の聖職者」「第二身分の貴族」「第三身分の平民」のそれぞれの代表が話し合う議会でした。
しかし、話が上手くまとまるはずもなく、やがて第三身分は追い出され、追い出された彼らは室内球技場で会議を続けます。
「憲法制定までは解散しない」
そう誓い、心を一つにします。この誓いこそ有名な「テニスコートの誓い(球技場の誓い)」です。
この数日後、徐々に第一身分と第二身分の中からも、この誓いに賛同する者が出てきます。ルイ16世も認めざるを得なくなり、三部会は「憲法制定国民議会(立憲国民議会)」に改称されたのです。
バスティーユ襲撃 〜フランス革命勃発〜
1789年7月12日、進歩派の財務総監ネッケルが罷免されます。
彼が罷免されたということは、軍はついに国民に銃口を向ける気なのではと、人々はパニックに陥りました。そして翌日には国民衛兵隊た組織され、武器を求めてバスティーユへ押し寄せ、これを制圧・陥落させました。
これにより、フランス革命は火蓋を切ったのです。
何が起こったかを書き始めると、膨大になるので割愛しますが、このバスティーユ襲撃からの混乱を鎮めるために、1789年8月4日に封建制度廃止宣言が出されます。そして人権宣言(正式名称は「人間および市民の権利宣言」)も出され、絶対王政にとどめをさしたのです。
ヴァレンヌ逃亡事件、王権停止
ヴァレンヌ逃亡事件を起こしていた国王一家(ルイ16世とマリーアントワネットとその子ら)は、祖国を捨てて逃げようとしたということで、完全に信用を失ってしまっていました。
やがて国会は王権停止を宣言し、国王一家はタンプル塔に幽閉になります。革命後も君主として待遇されていましたが、ここからは一般の囚人と同じ扱いになってしまったのです。
国王の死
国民公会でロベスピエール、ダントン、マラーら有名な革命家が揃い、正式に王政の廃止を宣言します。そして国王は裁判にかけられ、民衆を欺いたとして死刑が言い渡されました。
ルイ16世は1793年1月21日、革命広場(現在のコンコルド広場)にてギロチンで処刑されました。
この後も革命の勢いで、数々の人間がギロチンで命を絶たれていきます。王妃マリーアントワネットも、ルイ16世の妹エリザベトもです。
恐怖政治の始まり
国王を失ったフランスは、全ヨーロッパと戦うことになります。大混乱に陥る人々を抑えるものは「恐怖」でした。「疑わしい者たち」はろくな裁判も受けられず、問答無用でギロチンで処せられました。
革命の中心的人物であり、合法性人と呼ばれたロベスピエールも勢いに押され、恐怖政府に加担していきます。
こうして無実の人も含む、おびただしい数の人間が処刑されていったのです。
テミドールのクーデーター /ロベスピエールの処刑
恐怖政治は人々を疑心暗鬼に追い立てました。ロベスピエール率いるジャコバン革命政府内でも同士討ちのようなことが起こり、革命を支えていたエベール派や中心人物のダントンも処刑してしまったのです。
「やられる前にやらねば」
そういう気持ちが高まり、ロベスピエールは逮捕され、サン-ジェストらと共に処刑されたのです。
バスチューユ襲撃からこのクーデターまでで、5年が経過しています。革命でいえば、半分ですが、革命らしい革命はここまでと言えます。
ナポレオン・ボナパルトの登場、革命の終わり。
国王亡き後、各国と戦争しなければいけなかったフランスに、ひとりの英雄が現れます。
ナポレオン・ボナパルトの登場です。
革命の申し子、戦の天才、そう呼ばれたナポレオンは次々に戦いに勝利していきます。
そして彼は諸外国に勝利し、周りの国を鎮めると今度はフランス国内の混乱に目をやります。そして彼自身がクーデーターを起こし、最終的にフランスの第一人者となり、フランス革命はこのブリュメールのクーデターをもって終息したのです。