幼い頃からプロテスタントとして育ち、初婚の際に「サン・バルテルミの虐殺」に遭遇したアンリ。数々の苦難を乗り越えた先にフランス国王となった彼でしたが、最期は一人の男の刃で倒れます。
フランス歴代国王一の人気を誇ると言われるアンリ4世。今回はそんなブルボン朝を開いた彼についてまとめていきます。
生い立ち
1553年12月13日、父アントワーヌ・ド・ブルボン(伯爵)と、ナバラ女王ジャンヌ・ダルブレとの間に、アンリは生まれました。
母ジャンヌは強硬なプロテスタントで知られており、父アントワーヌもジャンヌに習ってプロテスタントに帰依していました。そんな二人の子供であるアンリも、当然のようにプロテスタントとして育っていきます。
ただ、当時のフランスはカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)で揺れ動き、一触触発の状態でした。アンリの父も、一度はプロテスタントに改宗していましたが、時の権力者・幼い国王の摂政でありその母であるカトリーヌ・ド・メディシスらカトリックに気負けしたのか、再びカトリックへと帰依します。
熱心なプロテスタントであった母ジャンヌとの夫婦仲が悪くなったのは言うまでもなく、ジャンヌは宮廷を去り、アンリは父により強制的にカトリックへ改宗させられています。
ユグノー戦争
1562年、宗教的事件から、フランスはユグノー戦争に突入します。
この戦争が始まった年の10月16日、カトリック側について戦っていたアントワーヌに流れ弾があたり、翌日死去。これにより、まだ10歳にもならないアンリがブルボン家を継承します。
1567年に、アンリは母とともにユグノー陣営へ加わります。(ユグノーとはプロテスタントのカルヴァン派のことを指すフランスでの呼び名です。)参加してからの初陣で見事勝利したアンリ。しかし翌年1568年に叔父でありユグノー盟主だったコンデ公が戦死してしまいます。
アンリはユグノー盟主となり、軍の指揮はコリニー提督が行うようになりました。
そして、この戦争中にアンリに結婚話が持ちかけられます。お相手はフランス国王の妹のマルグリット。勿論その母はあのカトリーヌ・ド・メディシスです。アンリの母ジャンヌは、カトリックを迫害する程の人物でしたから、息子の相手がカトリックの娘ということに反対しました。
しかし、カトリーヌが「宗教の融和のためだ」と説明し、渋々了承しています。・・・が、決まった結婚式の僅か2ヶ月前に、ジャンヌは急死ししてしまいました。カトリーヌに暗殺されたのでは?という噂も立つほどです。
こうして母からナバラ王位継承を受け、アンリはエンリケ3世としてナバラ国王になります。(エンリケはスペイン名です)
1572年8月18日、アンリが19歳のとき、マルグリットと結婚式を挙げます。フランス国王の母、カトリーヌ・ド・メディシスの考えの元行われた政治的結婚。
華やかな結婚式になるはずでしたが、同月24日にサン・バルテルミの虐殺が始まってしまいます。
仲間であるプロテスタント(ユグノー)の貴族・市民らが無差別に虐殺され、死体が市中に山積みにされていきました。アンリはまたも強制的にカトリックに改宗させられ、幽閉されてしまったのです。
彼が幽閉生活から抜け出させたのは、1576年2月。そして同年6月に再びプロテスタントへ帰依しています。この逃亡までの間にアンリはカトリック側として戦うこともありました。
自身の結婚式で虐殺が行われたこと、そしてそのカトリック側で戦わなければいけなかったこと。どれ程アンリが苦心したか想像を絶するところです。
三アンリの戦い
さてそんな激動の中、1584年6月にヴァロア家最後の王位継承権を持っていたアンリ3世の弟アンジュー公フランソワが急死します。これによりプロテスタントであるアンリに王位継承権がやってきたのです。
しかしフランスはカトリックの国。当然プロテスタントの王に反対するものが多くいました。アンリ3世は弟の死後、ナバル国王アンリに対して権利喪失を宣言します。
ここにもうひとりの権力競争相手であるギース公のアンリも足して、アンリ3世・ナバル国王アンリで「三アンリの戦い」と称される戦いに突入していきます。
民衆から圧倒的な支持を得るギース公アンリ。彼は正当な王位継承権を持つナバラ王アンリより、カトリックの自分こそ王に相応しいと名乗りを挙げていました。しかし、そんな彼を警戒していたアンリ3世によって、1588年12月ブロワ城に招き入れられたところを、親衛隊によって暗殺されてしまったのです。翌日にはその弟ロレーヌ枢機卿も殺害されています。
彼らの無残な亡骸は、カトリック勢に利用されないように、薬品をかけて溶かしたという用意周到ぶり。

出典:Wikipedia
しかし、ギース公らを慕っていたカトリックの過激派と対立を深める羽目になります。手に負えなくなったカトリックに対抗するために、アンリ3世はついにナバラ王アンリと和解して巻き返しを図ろうとします。
が、皮肉にも1589年8月に、アンリ3世はドミニコ会修道士ジャック・クレマンによって暗殺されてしまったのです。
死の間際、アンリ3世は次の王としてナバラ王アンリを指し、絶命。アンリ3世に子供がいなかったため、ヴァロア朝は断絶しました。
アンリ4世の即位
ナバル国王アンリが同年にアンリ4世として即位します。35歳のときでした。
ヴァロア朝が断絶し、新たにブルボン朝が開かれたのです。アンリ4世はその祖となったのですが、課題は山積み。プロテスタント国王を認めないカトリック派を相手に闘いは続いていました。
そして1593年、カトリックが絶対のフランスではプロテスタント王は受け入れられないと悟ったアンリ4世は、1593年7月パリ郊外のサン・ドニ聖堂にてカトリックへ改宗し、翌年2月にカトリック同盟の本拠地ランスで聖別式を行い、さらに翌年2月にシャルトルで戴冠式を行っています。
ローマ教皇から破門されていたアンリ4世でしたが、1595年9月にローマ教皇クレメンス8世によって正式に国王として認可されました。
フランス国民からの支持も得始め、1598年4月、ナントの勅令(王令)を発布。制限付きではありましたが、これによりプロテスタントの信仰の自由を保証したのです。そして翌月5月にはスペインと条約を結び、36年続いたフランスの宗教革命は終わったのでした。
アンリ4世の統治
長く続いた戦争で、フランスは疲弊しきっていました。
アンリ4世はルーブル宮の大改修やポンヌフ橋、国王広場(現ヴォージュ広場)の建設など、フランスの美化に力を注ぎました。
美しく生まれ変わっていくフランス。そして何より彼が注力したのが財政問題でした。多額の借金を抱えながら、アンリ4世はマクシミリアン・ド・ベテューヌ(のちのリシュー公)を財務卿に登用しました。
シュリーは財政の健全化に努め、結果的に安定的な財源確保を見出すことができました。ポートレット法も定め、習慣化していた官職の世襲を正式に認める見返りとして、官職価格の60分の1を毎年納めよというものでした。今までは大貴族に流れていたお金が、国へ直接入るようになったです。
新王妃マリ・ド・メディシス
そんな有能な君主であったアンリ4世ですが、王妃マルグリットとの間には子供が生まれませんでした。
英雄色を好むという言葉がありますが、アンリ4世もなかなかの好色家で、何十人もの愛人を抱えていました。が、王妃との関係は冷めきっており、世継ぎを考える上で別の王妃が必要と思うようになったのです。
そこで、愛人の一人だったガブリエル・ドストレを結婚相手に定め、アンリ4世はマルグリットとの離婚を提案します。愛が冷めていたマルグリットの方も、離婚を認めたものの、相手が身分の低い女性であったことに嫉妬し、なかなか話が進みませんでした。
しかし、このカブリエルが26歳という若さで急死してしまったことから、あっさりと離婚が成立したのです。(とは言っても宗教上の問題から、世間体的には難しい離婚でした。)
そして新しい王妃にメディチ家からマリー・ド・メディシスが迎えられました。(憶測ですが、このマリーを嫁がせるために彼女のおじトスカナ大公フェルディナント1世がガブリエルを暗殺したのでは?とも囁かれたようです。それほど、ガブリエルの急死のタイミングが絶妙だったのです。)
さて、美貌に優れた評判の王妃も迎え、マリーとの間に男子を3人も授かったアンリ4世。ようやく跡継ぎ問題も解消された彼でしたが、まさかの展開が待っていたのです。
アンリ4世の暗殺
「アンリ・ド・ル・グラン」(大王アンリ)と呼ばれ、善政を行い、民衆から慕われた賢明な国王。そんなアンリでしたが、最期はあっけないものでした。
旧教と新教との間に立ち、中立な立場を取ってきたアンリ4世。両者のバランスを取っていたものの、それはある意味どっちつかずなものでした。
1610年5月14日、財務卿シュリーとの会談のため、馬車でルーブル宮を出発したアンリ4世は、群衆の中から飛び出してきた男に刺されてしまいます。

これまでにも十数回暗殺未遂はありましたが、今回は肺と心臓を二箇所刺されてしまい、アンリ4世はその場で絶命してしまったのです。
犯人は熱狂的なカトリック信徒だったフランソワ・ラヴァイヤック。国王を暗殺したラヴァイヤックは様々な拷問を受けましたが、共犯者の名前は一切出さなかったため、単独犯とされています。
ラヴァイヤックは煮えたぎった油などを体にかけられたりと散々いたぶられた挙げ句、最も残酷な八つ裂きの刑(四頭の馬に両手足を引っ張らせ、引き裂くというもの)に処せられ、絶命しました。
三アンリの戦いの三人のアンリは、全員暗殺されるという、少し不気味な結末でもあります。
アンリ4世の死後は、息子のルイ13世に委ねられていったのです。
参考文献
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