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ホレーショ・ネルソン ナポレオンの侵略から祖国イギリスを守り抜いた英雄

ホレーショ・ネルソン イギリス人 歴史

日本人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、イギリスでは今もホレーショ・ネルソンを英雄として讃えています。

フランス革命の英雄ナポレオンを撃退したイギリス人、といえば彼の凄さが分かるかもしれません。今回はそんなホレーショ・ネルソンについてまとめていきます。

生い立ち

イングランド東部にあるノーフォーク州バーナム・ソープ村に、ホレーショ・ネルソンは生まれました。1770年12歳の時に海軍に入隊。これは父が病に倒れ、家計が苦しくなったため海軍の軍人だった母方の叔父を頼っての入隊でした。

二等水兵から始まり、18歳で海尉、20歳で海尉艦長に昇格していきます。この時指揮艦を得た彼は、翌年に勅任艦長に昇進しています。

隻眼・隻腕の海軍提督

フランスを情熱と狂気でごった煮にさせたフランス革命。その余波はネルソンのいるイギリスにまで伸びてきていました。

戦列艦アガメムノンの艦長として、1793年10月に初めてフランス艦との海戦を経験します。この翌年に地中海のコルシカ島での戦争で右目の視力を失ってしまいます。

1797年のサン・ビセンテ岬の海戦では、新任の海艦隊司令官ジョン・ジャーヴィスの命令を無視して、逃げ惑う敵のスペイン艦隊へ突入し、結果敵の拿捕に成功。

成果を出したことで命令無視の無礼は不問とされ、騎士に叙勲。青色艦隊少将(イギリス海軍の戦隊のひとつ。イギリス国旗にある赤、青、白に色分けされたうちのひとつ。)に昇進しています。

しかし、同年に起きたテネリフェ島攻略では作戦に失敗。砲撃によりネルソンは右腕を砕かれて切断を余儀なくされました。右目、右手を失ったことで「隻眼・隻腕のイギリス海軍提督」となったのです。

トラファルガー海戦

トラファルガーの海戦
トラファルガーの海戦
出典:Wikipedia

1798年8月1日のアブキール湾の戦いでは、湾に停泊中だったフランス艦隊をネルソン提督率いるイギリス軍が襲撃。エジプトを遠征中だったナポレオン・ボナパルトの野望を打ち砕き、彼らに壊滅的なダメージを与えたのです。

そして運命の1805年、スペイン南部アンダルシア州の大西洋に面したトラファルガー岬の沖合で、ネルソン提督率いるイギリス艦隊とフランス・スペイン合同艦隊の間で火蓋が切られます。

このナポレオン戦争期最大規模の海戦というのは、グレート・ブリテン島侵略を目論み動き出したナポレオンがスペインと連合して大艦隊を編成。その強力で巨大な敵を、ネルソンらイギリス艦隊が圧倒的勝利を収めた有名な海戦です。

この戦闘開始時にネルソンが発信した信号「英国は各員がその義務尽くすことを期待する」は後世に語り継がれる名文句となっています。

ネルソンはこの巨大なフランス・スペイン艦隊を分離させるため、「ネルソン・タッチ」と呼ばれる戦法によって打ち破っています。敵から一方的に攻撃される危険がありながら、捨て身の覚悟で突撃、接近戦に持ち込んでからは連合艦隊の半分以上を撃破。

驚くことにフランス・スペインは多くの艦を失い、死者も数千人を出したのに対し、突撃したイギリス艦隊は喪失艦なし。死者も数百人だったといいます。

ネルソンの死

恐ろしい連合艦隊を撃破し、ナポレオンのイギリス本土上陸作戦を食い止めたネルソン。しかしこの激戦中、彼は銃弾を受けて命を落とします。

ホレーショ・ネルソンの死
ネルソンの死 出典:Wikipedia

死に際の彼は、義務を果たし、勝利を見届けて「神に感謝する。わたしは義務を果たした」と残して絶命したと伝えられています。

彼は祖国イギリスを救った「救国の英雄」として、王族以外で初めての国葬で見送られ、讃えられたのでした。

参考文献

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kumano
歴女という言葉が出来る前からの歴史好き。特に好きな歴史は日本の幕末とフランス革命。 好きな漫画:ベルサイユのばら、イノサン、るろうに剣心など。