以前「歴史上カッコいい女性を紹介してみる」で触れた、インドの英雄ラクシュミー・バーイー。今回はインド大反乱の指導者の1人であり、インドのジャンヌダルクとも言われる彼女について解説していきます。
生い立ち
彼女が歴史の表舞台に立つのは、インド大反乱の時であり、生年については細かく分かっていません。ただ、1830年頃かつて大国として存在していた、マラータ王国の末裔に生まれたと言われています。
結婚する前の名前はマニカルニカで、結婚してからラクシュミー・バーイーと呼ばれるようになります。
彼女が4歳の頃に母が亡くなり、父によって育てられたため、当時の女性としては珍しく文字の読み書きを学ぶことができ、騎乗や剣技や銃などの扱いも出来たそうです。
ラクシュミー・バーイーの伝説の一つに、男友達のナーナ・サーヒブの話があります。
ある日、このナーナ・サーヒブが像に乗っていたところ、ラクシュミーは「自分も乗りたい」とナーナに言いました。ところがナーナはこれを拒否。
怒ったラクシュミー・バーイーはいつかあんたを見返してやる!十倍の象を手に入れてやる!と叫んだと言います。幼い頃の約束でしたが、大人になり妃ととなった彼女は、本当にナーナに10頭の象をプレゼントした、という逸話を残しています。
ジャーンシー王の妃に
1842年に、ラクシュミー・バーイーはジャーンシーの王ガンガハール・ラーオ(ガンガーダルとも)と結婚します。
夫のガンガハール・ラーオはなんと、40歳も年上の男性でした。しかし子供がいなかったため、若い妃のラクシュミー・バーイーとの子供を待ち望んでいました。
そして1851年、待望の第一子が誕生しましたが・・・哀れにもわずか3ヶ月でこの子供は死亡してしまいます。
彼女の不幸はさらに続き、1853年以降は夫まで重病に瀕してしまいます。同年インドの習慣に従って親類の男子を養子に迎えましたが、ガンガハール・ラーオはラクシュミー・バーイーに摂政を託し、同年の12月に死去。
彼女は養子の息子とジャーンシー王国を治めるはずでしたが、ここで大きな邪魔が入ります。
イギリスの介入と国の合併
当時、インドはイギリスの支配下にありました。そのため、インドの仕来りで迎えた養子を王にするのは違法であり、実子でない者を王にするのを認めない。というのです。
認めないどころか1854年に「失権の原理(嫡子なき国はイギリスに合併するという原理)」を持ち出し、ジャーンシー国の合併を要求してきたのです。
もちろん、ラクシュミー・バーイーはそうならないよう、前年の1853年からイギリスのインド総督に対して養子の承認を認める要求の手紙を送っていました。
しかし自分らに都合の悪いこととして、イギリスはこれを黙殺。出来得る限りの尽力をラクシュミー・バーイーは行いましたが、結局どれもイギリスに相手にされず、彼女はわずかな年金を与えられて国を去らざるを得ませんでした。
王が没した翌年1854年2月27日、ジャーンシー王国はイギリスに併合されてしまったのです。
インドの大反乱
ラクシュミー・バーイーが再び歴史の表舞台に現れたのは、1857年5月。イギリスに雇われていたインド兵士(シパーヒー)らが起こしたインド大反乱の時です。
反乱によって自分たちの身の危機を感じたジャーンシーのイギリス人らは、かつての王妃ラクシュミー・バーイーに助けを求めたのです。
追い出しておいて自分らの都合の良い時に呼び戻すのは、なんとも滑稽なことですが、ラクシュミー・バーイー自身は虐殺を望んでいなかったので、このイギリス人らと市民の間に入り仲を取り持とうとしました。
が、彼女が到達する頃には間に合わず、既にイギリス人らは死亡していました。
ですが、これは奪われた国を取り戻す機会でもありました。ラクシュミー・バーイーらは武器を取り、倉庫から衣食を貧民に提供。軍隊を作りイギリスに反旗を翻したのです
イギリス軍との激闘
このラクシュミー・バーイーの軍隊には子供も女性も入り混じったものでした。強敵のイギリス軍相手でしたが、彼女は優秀な指揮官でもありました。
ジャーンシーをイギリスから奪還した後も、自ら武器を持ち、戦い続けました。グワーリヤルの砦も奪取し、ここを自軍の拠点とします。
もちろんイギリスも黙るはずがなく、大軍をグワーリヤルに向かわせます。勇猛果敢な王妃ラクシュミー・バーイー軍はそれでも戦い続けて、イギリスに多大な被害を与えました。
しかし1853年6月18日、グワーリヤル城外で指揮中にイギリス軍の軽騎兵に狙撃ちされて戦死します。
死後伝説の王妃に
美しく、勇敢であったカリスマ王妃は、国のために戦った英雄としてインドで愛される存在になりました。
第二次世界大戦中、インド国民軍は女性部隊を編成していましたが、この部隊名に「ジャーンシー王妃連隊」と名前を付けています。まさにラクシュミー・バーイーは今でもインドでは国民的な英雄として人気があるのです。
参考文献
- 世界各国女傑列伝 山田昌弘(著)
- 超ビジュアル!世界の歴史大辞典