イギリス

メアリー1世「ブラッディ・メアリー」の異名を持つイングランド女王

メアリー1世 イングランド女王

現存するメアリー1世の絵画の表情は、どれも頑なな印象を受けます。王と王妃の娘として生まれたものの、安定しない身分や両親の離婚、後継者争いによる命の危機を感じた境遇からかもしれません。

今回はブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれたメアリー1世についてまとめていきます。

生い立ち

1516年2月18日、イングランド王ヘンリー8世と彼の最初の妃キャサリン・オブ・アラゴンの娘としてメアリーは誕生しました。

母キャサリンは何度か懐妊していましたが、失敗し、無事成長したのはこのメアリーだけでした。

父ヘンリーから愛情を受け育てられるも、彼女が9歳になる頃、その父の愛は母から愛人アン・ブーリンへと移っていました。そして母キャサリンは無理矢理離婚させられ、ヘンリー8世は愛人のアンと結婚。

離婚を突きつけられ、追い出されてしまった母に立場はありませんでした。最初こそ王位継承権も認められていたメアリーも、プリンセス・オブ・ウェールズ(王女)の称号を剥奪されて庶子として扱われるようになってしまったのです。

妹エリザベスの誕生

後妻であるアン・ブーリンに娘エリザベスが生まれます。メアリーからすれば腹違いの妹でした。

ヘンリー8世とアン・ブーリン
ヘンリー8世とアン・ブーリン
出典:Wikipedia

エリザベスは、自分の母を追いやった憎き愛人の娘です。当然この姉妹の関係は険悪でした。それだけではなく、父を奪い取ったアン・ブーリンは気の強い女性で、最初の妻の子であるメアリーを疎ましく感じていました。そして彼女を自分の娘エリザベスの侍女にしようとしたのです。

対するメアリーも気の強い娘でしたので、当然反発します。「妹としては認めるが、王女としては認めない」というのです。この言葉から、メアリーは「正しい」と思うことには素直な性格だったのだろうとうかがえます。(反対に、認めないことには徹底抗戦の構えを見せています。)

その強固さからか、アンがヘンリー8世の妃であった間、メアリーは何度か毒殺されかけていたようです。病気がちでもあった彼女でしたが、恐ろしいアンが無実の罪で処刑されたことでひとまず命の危機は去りました。

弟エドワードの誕生

アンを処刑した10日後、ヘンリー8世はジェーン・シーモアと再々婚します。

憎らしいと思っていたアンとは違い、ジェーンはメアリーとヘンリーの仲直りを測るなどメアリーにとってはプラスになる女性でした。当然ジェーンとの関係は良好で、ついに生まれた男の後継者、エドワードの面倒も見ていたようです。(ジェーンは産後の肥立ちが悪く、エドワードが生まれてすぐ死亡しています。)

後に父ヘンリー8世死去後に、エドワードが即位する際も、特にメアリーは反対していません。正当な王の直系の男子であるエドワード6世が、王として即位するのは当然と考えたのでしょう。

優しい継母キャサリン・パー

ところが、ジェーン・シーモアが命がけで産んだエドワードは、生まれつき病弱でした。

ヘンリー8世の6番目の妃 キャサリン・パー
ヘンリー8世の6番目の妃キャサリン・パー
出典:Wikipedia

父ヘンリーは相変わらず男子を欲しがり、妻を取っ替え引っ替えして1543年には6番目の妃としてキャサリン・パーを迎えています。

彼女との間に子供は誕生しませんでしが、キャサリン・パーは教養高く、また家族愛に満ちた慈愛の女性で、王だけでなく、メアリー・エリザベス・エドワードら子供達からも愛されました。

メアリーとキャサリン・パーは3歳しか歳が変わりませんでしたが、キャサリンが父と結婚する前から親睦があったようです。

2歳の頃に母アン・ブーリンを処刑されてたエリザベスにとっては、初めての「母」と呼べる存在で、大変懐いていたそうです。

子供達が王家としての教養を身につけられたのも、ひとえにこのキャサリン・パーの影響があったからです。

そしてこの継母キャサリンのお陰で、1543年にメアリーもエリザベスも王位継承権を再び得ることができました。(メアリー同様、母を失ったエリザベスも庶子とされていました。)これも後の王位継承問題を考えれば、大きな出来事でした。

エドワード6世の即位と死

王の寵愛を一身に受けていた唯一の男子、エドワード6世が父の死に伴い1544年わずか9歳にして即位します。

しかし、元々病弱だったエドワード6世は、1553年半ばになると悪性の感冒に侵され死を待つのみとなっていました。

次の王位継承者は姉のメアリーでしたが、ここに邪魔が入ります。それがノーサンバランド公ジョン・ダドリーです。メアリーは熱狂的なカトリック信徒だったため、プロテスタント政策を行なっていたエドワードの側近ダドリーは恐れおののいたのです。

ダドリーは「もしカトリックのメアリーが女王になれば、政策はカトリックに乗っ取られ、プロテスタントである自分は処刑されてしまう。」そうなる前に、「メアリー以外のものを女王にする必要がる」と考えたのです。そこで、ダドリーはヘンリー8世の妹の孫娘ジェーン・グレイを女王にしようと行動します。そしてそのジェーンに、自分の息子を結婚させようと目論んだのです。

メアリー1世 イングランド女王の誕生

このダドリーの計画は綻びが多く、身の危険を察したメアリーはいち早く逃亡していました。

1553年7月6日にエドワード6世が15歳の若さで夭折した際、4日後の7月10日にジェーン・グレイの王位継承が宣言されます。しかし、逃亡先でメアリーも即位を宣言。真っ向からジェーン・グレイと対抗します。

元々ヘンリー8世から王位継承を認められていたメアリーと、王の血縁者とはいえ急に持ち出されたジェーン・グレイでは、周囲の貴族の反応は明らかでした。メアリーの周りには支援者が集まり、ジェーンと夫らはロンドン塔に幽閉されたのです。

こうして、1553年7月19日メアリーは名実ともにメアリー1世として、イングランドの実質的な初代女王となったのです。(ジェーン・グレイが正式には初代女王ですが、即位はわずか9日間。実質的という言葉を使うなら、メアリーの方でしょう。)

ブラッディ・メアリー

そもそもジェーン・グレイの登場は、ダドリーがカトリックによるプロテスタントの弾圧を恐れたものでした。その先頭に、ついに熱狂的カトリック信徒のメアリーが立ったのです。

ヘンリー8世が離婚のために行った宗教革命。これを覆してイングランドは再びローマ教皇のカトリックに復帰します。それはやはり、プロテスタントの迫害を意味していました。

メアリーは女性子供容赦なく、約300人ものプロテスタント信徒を火あぶりに処しました。中にはヘンリー8世とアン・ブーリンの結婚を執り行ったトマス・クランマーも含まれています。

誰に否定されても捨てなかったカトリックへの強い想い、そして何より、父ヘンリーが打ち立てた国教会は母を離縁に追い込み、メアリーの立場も危ういものとした元凶でした。このプロテスタントの弾圧には、そうしたメアリーの憎悪や復讐心が含まれていたのです。

最も、犠牲になったのは下層のプロテスタント信者でした。ジェントリなどの富裕層はこの弾圧の嵐を免れるため亡命しています。

こうして彼女は「ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)」になってしまったのです。

メアリーの失策

女王として頂点に立っても、メアリーはその後も王位継承に悩まされます。女王として即位した時点で37歳になっていたメアリー。急いで子を成さなければ、次の継承者であるエリザベスが女王になってしまいます。

憎しみを抱き続けたメアリーに対し、妹エリザベスは20歳。花のような美しい女性に成長していました。そして何より、エリザベスはあれほど憎んだプロテスタントでした。

世継ぎを望むメアリーが、自身の結婚相手として選んだのがスペインの皇太子フェリペです。しかし、この結婚は周囲の不満を招き、ワイアットの反乱につながりました。(スペインといえばカトリックの総本山のような存在で、イングランドが乗っ取られてしまうのではと恐れられたため。)

この反乱は鎮静されたものの、先に述べた幽閉中だったジェーン・グレイなどがこの時に処刑されています。(この反乱にジェーンの父が参加していたため。)ジェーン・グレイは処刑時、まだ16歳の少女でした。

さらに、結婚後のフェリペは母国スペインとフランスの戦争に、イングランドも参加するようメアリーに促します。夫のいう通り参加したものの、この戦争でイングランドは大陸に唯一残っていた領土カレーを失ってしまいます。

革新的な政治を行うことなく、メアリーには失策や弾圧といった暗い印象がつきまとう結果に終わります。

メアリーの死

即位してわずか5年後、1558年に11月17日卵巣腫瘍によってメアリーはこの世を去ります。

王位継承者には、あのエリザベスを渋々選んだといいます。ちなみに、メアリー統治のカトリック復古政策を支えたカンタベリ大主教レジナルド・プールも、彼女の後を追うように同日の夕方死去しています。

暗いイメージが最後まで残るメアリーの治世でしたが、近年では再評価が進んでいるそうです。失政の象徴のような領土カレー喪失も、その後の新大陸へと目を向けるきっかけ繋がったというのです。

ともあれ、次に続くエリザベス1世が現在もイギリスtop10入りするほどの人気者のため、影が薄くなっているのもいなめません。

が、彼女の「人間味ある憎悪や嫉妬」という部分は、彼女の人としての魅力になっていると思います。

余談ですが、彼女の異名ブラッディ・メアリー(ブラッディ・マリーとも)に由来するカクテルも存在ます。歴史を考えながら一杯飲むと趣がありますね。

参考文献

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  • 水井万里子(著)『図解テューダー朝の歴史』 河出書房新社 2011※ヘンリの妻クレーフェのアンとキャサリン・ハワードの写真が逆になっている間違いあり。

[affi id=6]

  • 石井 美樹子(著) 『ビジュアル選書 イギリス王室1000年史』

[affi id=8]

  • 指 昭博 (著) 『 図解イギリスの歴史(ふくろうの本)』
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kumano
歴女という言葉が出来る前からの歴史好き。特に好きな歴史は日本の幕末とフランス革命。 好きな漫画:ベルサイユのばら、イノサン、るろうに剣心など。