歴史の補足

歴史の補足 西洋史に関するまとめ

ひとつの記事にまとめる程の情報量ではないけれど、あると便利な補足をこのページにまとめていこうと思います。 ここでは人物以外にも起きた事柄・キーワードもまとめています。

メモ的要素が高いく、時代や国がごちゃまぜになっていますが、ゆくゆくは整理していきたいと思っています。

西洋史/ヨーロッパ史

あ行

アンシャン・レジーム(旧体制)

主にフランス革命時前の身分制度を指す。第一身分を聖職者、第二身分を貴族、第三身分を市民とした。これに異を唱える啓蒙思想がフランスで流行り、フランス革命を迎えて崩壊した。

ヴォルテール

1694~1778年。フランスの啓蒙思想を代表する思想家。歴史家でもあり文筆家の顔も持つ。イギリスやプロイセンにも滞在し、旧体制(アンシャン・レジーム)を批判した。

エリザヴェータ・ペトローヴナ

在位1741〜62年。ロシア女帝でピョートル1世の娘。近衛兵のクーデターで即位。政治は寵臣らに左右されるも、貴族と商人の利益を擁護し、進歩的な政策を行った。七年戦争では反プロイセン側に立った。後継者の妻にエカチェリーナ2世がいる。

オーストリア継承戦争

1740〜48年。ハプスブルク家の継承権をめぐって勃発したオーストリアとプロイセンを中心とした戦争。

か行

カール6世

在位1711〜40年。ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝。マリア・テレジアの父。スペイン継承戦争で王位継承に失敗。本人はスペイン王になりたかったが、兄ヨーゼフ1世の急死を受けてローマ皇帝に即位。後継男子に恵まれず、男女を問わず長子を後継者とする制度を設けた。

カトリーヌ・ド・メディシス

1519~1589年。フランス国王アンリ2世の王妃。シャルル9世とアンリ3世の母后。イタリア・メディチ家より嫁ぎ、フランスにイタリア文化を持ち込んだと言われている。サン・バルテルミの虐殺は、彼女が宗教戦争において、緩和を促すために提案した結婚がきっかけで勃発している。彼女の記事はこちら

クーネルスドルフの戦い

約5万のプロイセン軍が8万を超えるオーストリア・ロシア連合軍と戦い、敗北した。この戦闘で先頭に立っていたプロイセン王フリードリヒ2世は落馬し、負傷した。

啓蒙思想(啓蒙主義)

理性にもとづいて伝統的権威や制度・習慣、社会的不平等に合理主義的な批判を加え、現状を改革し、よりよい社会の現実を目指す思想と運動。フランス革命の思想的基礎の一つとなる。モンテスキューやルソーが有名。ポンパドゥール夫人もヴォルテールやケネーなどの啓蒙思想家達と親しく、サロンを開き学芸を保護した。

啓蒙専制君主

啓蒙絶対君主とも。啓蒙思想(主義)によって後進的な自国の近代化を行おうとした皇帝や国王を言う。18世紀後半の中・東欧・ロシア・北イタリアに現れた。富国強兵を実現するために、絶対主義的な官僚制度の枠内で「上からの近代化」を進めた。主な人物にフリードリヒ2世エカチェリーナ2世らがいる。

ケネー(フランソワ・ケネー)

1694〜1774年。フランスの経済学者であり、国王顧問医であり、ポンパドゥール夫人の侍医。富の元を農業におく経済自由主義を説き、重農主義の祖と呼ばれる。著書に『経済表』がある。

さ行

サン・バルテルミの虐殺

1572年8月24日。フランス王太后カトリーヌ・ド・メディシスが影響力を行使していた時分、ギース公などの有力貴族の間で行われた宗教的な惨劇。カトリックにより多くのプロテスタントが死に追いやられた。サン・バルテルミの虐殺について詳しくはこちら

スペイン継承戦争

1701〜14年。スペイン・ハプスブルク家断絶に伴う王位と領土の継承をめぐるフランス・スペインとイギリス・オーストリア・オランダとの戦争。これによりスペイン王位はフランスのブルボン家が継ぐことになった。

た行

な行

七年戦争

1756〜63年。オーストリアとプロイセンとの間で繰り広げられた、ドイツを主戦場とした戦争。主な人物 マリア・テレジア

は行

フェリペ2世

在位1556~1598年。イングランド女王メアリ1世と1554年に結婚。数年後に死別するが、ナポリ王・シチリア王・スペイン王・ポルトガル王などを継承している。1588年にはイングランドへのアルマダ侵攻を企てた。

フランツ・シュテファン

在位1745〜65年。神聖ローマ皇帝フランツ1世。ロートリンゲン(ロレーヌ)出身で、マリア・テレジアと結婚。これによりロートリンゲンの継承権を放棄。呼称はハプスブルク家・ロートリンゲン家として残る。なので、マリア・テレジアの代からはハプスブルク家ではなくハプスブルク・ロートリンゲン家というのが正しい名称。

フリードリヒ2世

在位1740〜86年。プロイセンの王。大王とも表される。官僚制度を強化し、国の工業の育成に成功。プロイセンを強力な絶対的主義国家に成長させた。「君主は国家第一の下僕」と自称する典型的な啓蒙専制君主。フリードリヒ2世の記事はこちら

ヘンリー8世

在位1509~1547年。イギリス・テューダー朝の国王。彼の記事はこちら

ま行

マルティン・ルター

1483~1546年。宗教改革を代表するドイツ人。

モンテスキュー

1689〜1755年。フランスの啓蒙思想家。ボルドーの高等法院長を退職し、ヨーロッパ各地を旅行。絶対主義国家を批判し、三権分立論を説く。フランス革命に大きな影響を与えた。著書に『法の精神』がある。

や行

ヤン・フス

1370頃~1415年。プラハのカレル大学の神学者。カトリック教会を批判したプロテスタント運動の先駆者。カトリック教会からは異端者とされ、火刑に処された。彼の死後「フス戦争」が勃発している。

ら行

リシュリュー

1585~1642年。フランス国王ルイ13世の治世時に、聖職者の最高位である枢機卿になった人物。政治では宰相の座にも就き、ブルボン朝に繁栄をもたらし、政治家としてもその有能さを見せた。彼の記事はこちら

ルイ17世

1785〜1795年。フランス国王ルイ16世と王妃マリーアントワネットの次男として生まれる。ヴァレンヌ逃亡事件で家族とともに幽閉され、両親がフランス革命でギロチンにかけられると、劣悪な環境の密室に監禁され衰弱死した。死亡したのは身代わりの孤児ではと噂されたが、遺体のDNA鑑定の結果2004年に本人だったと証明された。

ルソー

1712〜1778年。ジュネーブ生まれのフランスの思想家。啓蒙思想家と交流し、自由と平等を説いた。文明社会を批判し、人民主義論、社会改造構想を提唱。これはフランス革命に影響を与えた。著書に『社会契約論』『エミール』がある。 彼の記事はこちら

ルネサンス

イタリアから始まった14~16世紀にヨーロッパで広まった文化運動。学術語は「再生」を意味するフランス語。(勿論言葉自体は当時からイタリア語やラテン語で使用されていた。)「ルネサンス」という言葉自体は19世紀のフランスの歴史家、ミシュレによって使われ始めた。

わ行

ABOUT ME
kumano
歴女という言葉が出来る前からの歴史好き。特に好きな歴史は日本の幕末とフランス革命。 好きな漫画:ベルサイユのばら、イノサン、るろうに剣心など。