オーストリア

マリア・テレジアの子供たち/オーストリア歴史/人物

マリアテレジアの子供たち

ハプスブルク家随一の人気を誇るともいえる、マリア・テレジア。敵対したプロイセン王フリードリヒ2世から「ハプスブルクには大いなる男がいると思ったが、女だった」などと言われる程、彼女は手腕を振るったのです。

さて、若くして王位を継承し、オーストリアを繁栄に導いたマリア・テレジアにはもう一つ伝説的なことがあります。

それは20年間で16人もの子女を出産したこと。目紛しい程忙しい中でも、出産や子育てをこなした彼女はまさにグレートマザー。成人した子は10人でしたが、それでも十分すぎる程すごい数です。

前置きが長くなりましたが、今回はそんな彼女の子供たちについてまとめてみたいと思います。

マリア・エリザベート

1人目(長女):わずか3歳で夭折してしまったマリア・エリザベート。祖父であるカール6世にとっては初孫でした。

マリア・アンナ

2人目(次女):2人目の子も女の子だったため、マリアテレジアとフランツ1世は落胆したといいます。しかも彼女は体が弱く、政略結婚させることができなかったため生涯独身でした。

マリア・カロリーナ

3人目(三女):わずか1歳で夭折。長女マリア・エリザベートよりも短命でした。

ヨーゼフ

4人目(長男):のちの皇帝ヨーゼフ2世。夫婦にとっては待望の長男でした。彼がまだ母マリアテレジアのお腹にいる時に、オーストリア継承戦争が勃発。波乱の中生まれてきます。

彼は成長すると母と連立摂政を行います。(この連立はマリア・テレジアが亡くなるまで16年も続きます)

偉大な母の威光が強かったためか、どうしてもインパクトに欠けてしまうヨーゼフ2世。革新的な改革も多く実行していますが、どれも成果をあげるまでには至りませんでした。(彼についてはいつか記事をまとめたいと思っているので、ここでは割愛します。)

マリー・クリスティーネ

5人目(四女):絵心があり、最も母に愛された娘。兄弟たちは政略結婚の駒として利用されましたが、彼女だけは例外として恋愛結婚が認められています。(父フランツからは反対されたようですが、フランツの死後愛するアルベルト公と結婚しています。)

しかもマリアテレジアは、ウィーンに近いポジョニに夫婦を住まわせて、贅沢な暮らしを許したそう。そのため、他の兄弟からは妬まれたり憎まれたりしています。

末妹のマリーアントワネットも、彼女がフランスに尋ねてきた際に無視したとも言われています。

マリア・エリザベート

6人目(五女):長女と同じ名前がつけられた娘。彼女は姉妹の中でも最も美しいと評判でしたが、天然痘にかかって醜くなり、生涯独身のまま修道院に送られてしまいます。

カール・ヨーゼフ

7人目(次男):7人目にして生まれた次男坊であり、内向的な長男ヨーゼフと違って、明るく魅力的な容姿をしていたため両親に溺愛されます。

そのせいでヨーゼフとは不仲でしたが、カールが15歳の時に天然痘にかかってしまい、16歳の誕生日を迎える手前で、命を落としまいました。

マリア・アマーリア

8人目(六女):初恋の相手、バイエルン公子と相思相愛だったにも関わらず、母マリアテレジアによって引き裂かれます。

そして嫁ぎ出されたのは、長男ヨーゼフ2世の最初の妻の弟フェルナンド。彼はパルマ公子でしたが精神的に未熟で粗悪、無能だったと言われています。

愛しの人と引き裂かれ、どうしようもない夫を持たされ「夫に従順であれ」と母に言われ続けたマリア・アマーリア。彼女が母を恨んだのは仕方のないことのように思えます。

彼女は無能な夫を差し置いて、自ら国政を動かします。そして夫が死去した後はナポレオンにパルマから追い出され、祖国には帰らず母を恨み続けながらプラハで亡くなったそうです。

ある意味で、不幸な最期を遂げたマリーアントワネットと近いかもしれません。

レオポルト

9人目(三男):父フランツのあとを継いでトスカーナ大公に就任しています。兄ヨーゼフと同じく、啓蒙君主として国の発展に貢献したそうです。(ヨーロッパで初めての、「死刑を完全になくす」ことを実現した人でもあります。)

その後、兄ヨーゼフ2世が世継ぎを残さなかったことから、レオポルトが神聖ローマ皇帝を継いでいます。(在位して2年後に死去。)母と同じく16人の子を授かっています。

マリア・カロリーナ

10人目(七女):生まれて数時間後に死亡。

ヨハンナ・ガブリエレ(またはガブリエーラ)

11人目(八女):天然痘により12歳で死去。

マリア・ヨーゼファ

12人目(九女):ナポリ王フェルディナントとの代理結婚式後に、天然痘にかかり16歳で死去。

マリア・カロリーナ

13人目(十女):先のマリア・ヨーゼファが亡くなったため、急遽ナポリ王との結婚が決まります。マリーアントワネットとは仲が良かったため、突然のことにアントワネットは涙したといいます。

母マリア・テレジアに一番近い人生を送ったとも言われている通り、政治に疎かった夫に代わり、抜群の政治的センスを見せます。

元々は彼女がルイ16世に嫁ぐ予定だったので、ヨーゼファの病死がなければ、フランス史は大きく変わっていただろうと思います。

フェルディナント

14人目(四男):モデナ公女と結婚し、国王になります。

マリー・アントワネット(マリア・アントニア)

15人目(十一女):フランス革命の悲劇の王妃として、マリア・テレジアの子女の中で最も有名なのが、マリー・アントワネットでしょう。

フランス国王ルイ16世の妃となり、フランス革命時にギロチンにかけられて亡くなります。彼女の詳細については別記事にまとめています。

マクシミリアン・フランツ

16人目(五男):ケルン大司教(選帝侯)。ベートーヴェンのパトロンとして、彼をウィーンに推薦したそうです。

まとめ

16人もいると、まとめもなかなかの量になります。こうしてみると、子供たちの多くが天然痘などの病気で亡くなっているようです。そのため、結婚の順番が変わったりして、マリア・カロリーナのように「もし」違った相手と結婚していたらどうなっていたか…歴史のifを考えたくなるシーンもありました。

また何か分かったことがあったら、追記していきたいと思います。

参考文献

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  • マリア・テレジアとヨーゼフ2世 稲野強(著)

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kumano
歴女という言葉が出来る前からの歴史好き。特に好きな歴史は日本の幕末とフランス革命。 好きな漫画:ベルサイユのばら、イノサン、るろうに剣心など。